目次
小さな町を舞台にした人間ドラマ
ロシア北部の海沿いの小さな町を舞台に、昔からその場所に住み続ける家族と、再開発目的のため権力でその場所から立ち退きをさせようとする、行政との対立を描いた人間ドラマです。
その場の空気が伝わってくるような生々しさの中、どこか重厚感のある質感としっかりと描かれる物語が、説得力がありながらも観たこのない映像を描き出していきます。
監督は「父、帰る」のアンドレイ・ズビャギンツェフです。
2014年の第67回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞、第72回ゴールデングローブ賞でも外国語映画賞を受賞し、第87回アカデミー賞の外国語映画賞にもノミネートされたことでも話題になった作品です。
あらすじ
小さな町で自動車修理工場を営みながら、一族が代々暮らしてきた家で妻子と暮らすコーリャ。再開発のため、土地買収を画策する市長による強行策に、コーリャは旧友の弁護士をモスクワから呼び寄せ、権力に対抗するのだが……。
引用:映画.com
キャスト・スタッフ紹介
- 制作国:ロシア
- 公開年:2014年
- 上映時間:140分
- 監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ
- キャスト:アレクセイ・セレブリャコフ、エレナ・リャドワ、ウラジーミル・ウドビチェンコフ、ロマン・マディアノフ、セルゲイ・ポホダーエフ
予告編
本来ならば無視されてしまう風景
この映画の舞台はロシア北部の田舎町、どことなく冷たさを感じる自然の風景がむき出しになったような、何もない海沿いの街です。
バレンツ海沿いにある辺境の町チェベルカという場所で撮影されているのですが、その冷たい風が吹き続ける風景はまさに地の果てともいうべき、圧巻の風景をどこまでも見せつけてくれます。
それは本来ならば無視されてしまう風景と言っても良いのかもしれません。
そしてそのどこまでもひんやりとしながらも、何もなかったかのような顔をする光景は、観光地ではない田舎町特有の空気と言えるかもしれません。
観光地でもなければ、なにか有名なものがあるわけでもない田舎の町というのは、その町の人が暮らす為だけ存在しているような錯覚を憶えさせます。
日本でも海外でも、もし何かの間違いでそんな田舎の町に足を踏み入れてしまったのならば、どこか場違いな空気を感じてしまうのではないでしょうか。
観光地というのはよそ者が、そこにいて良い理由を作り出します。名所をと呼ばれる場所ならば写真を撮って良いし、観光客がたくさんやってくるレストランであれば、よそ者でも普通の顔をしてそこで食事を取ることができます。
この映画の舞台はまさに観光地化されていない、よそ者がまったくと言って良いほど来ないであろう、田舎町を舞台にした物語です。
その光景はどこか冷たさが漂い、人間の小さな感情の揺れを助長する風景といった感じがします。
壮大さのなすべきこと
冒頭から壮大さがあらわになった、自然の風景が映し出されていきます。バックに流れる現代音楽の名手フィリップグラスの音楽がその壮大さをさらに増幅させていくかのようです。
ひんやりとした薄暗い景色の中、岩肌に打ち付ける波、風に吹かれ続けることを余儀なくされたかのような草木、海辺て朽ち果てた古い船、そびえたつ為だけに存在するかのような山々などが、ゆったりと間を取りながらも次々と映し出されていきます
これが壮大さの持つ本来の姿だと言わんばかりのその光景は、これから始まる物語から目を逸らしてはいけない理由を述べるかのように、まざまざとその風景を見せつけます。
壮大さは人間と対をなす自然の風景の究極の形であり、それはいつしか人間の営みさえも、飲み込んでしまうのではないかと言った形相を見せつけ、その美しさとは裏腹に時に私たちを不安にさせる光景でもあります。
そして壮大なその風景は冒頭の数十秒を眺めただけで、この映画が大作であることを確信させます。
人間が織りなすドラマ
そんな壮大な風景の淵にあるような入り江の、小さな丘の上に立つ古びた一軒家に、主人公のコーリャとその家族は住んでいます。
コーリャはこの町で生まれ育ち、家族を持ち自動車修理工として生計を立てています。
この地に常に吹き続ける冷たい風をなんとも思っていないかのような、その佇まいはまさに彼がこの町でずっと暮らしてきた証であるかのように、説得力のある立ち位置を提供しています。
しかし長い間暮らしているこの場所は、市が再開発のために立ち退きを要請しています。この地を離れたくないコーリャは、古くからの友人の弁護士ディーマをモスクワから呼び寄せて、権力に対抗しようとします。
ディーマと共に市を相手取った裁判に出向くも、その判決は納得のいくものではありません。
ディーマは市長に直談判の機会を得るのですが、この市長がかなりの曲者で、あらゆる手段を使ってでも、その場所を我が手に収めようと必死です。
そんな攻防にコーリャーとその家族である、妻のリリアや息子のロマは翻弄されていきます。それはどこまでも救いがなく、現代の苦しみを代弁するかのごとく、殺風景な心象風景のような冷たく淀んだ光景です。
しかしその家族やそれを取り巻く人々の風景は、どこか懐かしさや美しさといった、心の安らぎが刺激される部分を、優しく撫でるようなそんなそぶりも感じさせます。
なぜ善人は裁かれるか
原題は『Leviathan』という監督が聖書の「ヨブ記」を読んでいた時に思いついたタイトルが付いています。
このレヴィアタンは旧約聖書に登場する悪魔のような海中の怪物の名前で 「ねじれた」や「渦を巻いた」という意味のヘブライ語が語源となっています。
人の営みには善と悪が付きまとい、自然の生まれた状態のままでは、この善と悪が入り乱れた、混沌とした状態がそこに横たわってしまうこととなります。このなんでもありの状態では野放しの自然がそうであるように、時に人間を自滅へと追い込んでしまいます。
野放しの自然はどこまでも広大な風景を作り上げることは可能ですが、いつしかその広大さは自然そのものさえも飲み込んでしまう結果となるでしょう。そして広大さは退廃へと移り変わってしまうのです。
人間の営みにも同じことが言えて、自然状態のまま人間を放置したならば自滅へと向かうのは明らかです。だからこそ人間はそこに法律や規則といった社会システムを作り上げ、より良い文明や文化が成り立つ仕組みを作ることに力を入れてきたのではないでしょうか。
しかし、この何かを作り上げる過程で生まれてくる、人々それぞれの様々な目論みが、時にその関係を悪化させ、自体を良くない方向へ向かわせることも多々あります。
それを正したり、時には正すことが出来なかったりを繰り返しながら、人類はただ先へと進むことを余儀なくされているかのようです。
それは、もはや神の思惑など無視するかのように、欲望や渇望が入り乱れ、生という本来は純粋で無垢なその存在を汚すように、己の裁きをそこにもたらしていきます。
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本ページの情報は2017年11月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。